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SORANOIRO 本店(ソラノイロ)

ベジソバ 1,000円

SORANOIRO 本店(ソラノイロ)

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] 麹町駅と半蔵門駅の間くらいにあります。麴町駅の方が近いけど。隣はイタリア料理の「TRANSIT」。
「東京FM通り」沿い「鳥元 麹町店」がある通り。「食べログ百名店」にも選ばれる人気店。

メニュー

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] 「ラーメン・ベジソバ・限定」がありました。券売機で購入します。
あと、ビーガン用のラーメンなどもありました。

ベジソバ(1,000円)

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] 「ベジソバ(1,000円)」を購入。スープには「人参・玉ねぎ」。それに、アサリの塩ダレ。
「水菜・レタス・サツマイモ・ミニトマト」がのる。人参のペーストもつく。
とろみはあまり着いていなく想像よりさらっとしている。
「人参・玉ねぎ」の野菜のコクと「アサリ」の旨味が絶妙にマッチしいている。
塩味と旨味がちょうど良い。しっかりした味なので変わったラーメンという印象がなかった。 「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] 麺には「パプリカ」が練りこまれている。コシはほどほど。
スープも麺もパスタとらーめんの間のような印象。

ベジソバ用リゾット(150円)

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] 「ベジソバ用リゾット(150円)」も注文。ご飯の上に「チーズ」がかかる。 「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] スープに投入。これが美味しい!なんとなくご飯を入れた味ではなく、ちゃんと料理になっている。
チーズもとても合う。麺とは違う美味しさがある。リゾット美味しい。
リゾットはぜひ注文したい。満足度がかなり上がる。他のラーメンも食べてみたいな。

卓上

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] 水・ナプキン。カウンターに座ったけどコロナ対策の区切りがされている。

店内

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」で「ベジソバ(1,000円)」[麹町] カウンター・テーブル席があります。カフェのようなこじゃれた店内。
女性客も多いラーメン屋さん。土曜の13時だったからか先客4名・後客1名と空いていた。
土曜は定休日のようなのに今日はやっていたな。いつも混んでいる人気店です。

「SORANOIRO 本店(ソラノイロ)」店舗情報

おすすめ度 ★★★★★☆
店名 SORANOIRO 本店(ソラノイロ)
電話番号 03-3263-5460
交通手段 麹町駅 徒歩3分
住所 東京都千代田区平河町1-3-10 ブルービル本館1B
営業時間 [月~金]
11:00~14:30(L.O.)
18:00〜22:00 (L.O.)
定休日 土日祝
ホームページ soranoiro-vege.com
食べログ tabelog.com(口コミ:796件 / 評価:3.79)

半蔵門とは

半蔵門駅(はんぞうもんえき)は、東京都千代田区麹町一丁目にある、東京メトロ半蔵門線の駅。「皇居・国立劇場・最高裁判所」や大使館も多く存在する。 半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説と、山王祭の山車の作り物として作られた象があまりにも大きかったために半分しか入らなかったことに由来するとする説がある。定説は前者であり、服部家の部下がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道沿い一帯が旗本屋敷で固められていたことに由来するという。

麹町とは

麹町駅(こうじまちえき)は、東京都千代田区麹町三丁目にある、東京メトロ有楽町線の駅。駅北端に隣接して日本テレビ放送網麹町分室の社屋があり、本社が汐留の日本テレビタワーに移転するまでは当駅の入口が同社のテレビ番組に映ることが多かった。また、6番出入口のすぐ横はマイスタジオだったため見学客と共に駅を利用する客が出入りする姿も映っていた。かつては駅敷地内にも日本テレビ構内への出入口があり、コンコースの途中に日テレ学院の入口があった。2019年1月、番町スタジオの稼働に伴い麹町分室は閉鎖され、建物が解体されたため入口も無くなり、現在は壁面となっている。名の由来は町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である。