市ヶ谷マガジン|飲食店レストランのグルメ情報満載!

TRANSIT(トランジット)

ワンプレート 1,200円

TRANSIT(トランジット)

「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ 麹町駅と半蔵門駅の間くらいにあります。麴町駅の方が近いけど。
隣は人気のラーメン屋さん「SORANOIRO 本店」「東京FM通り」沿い。「鳥元 麹町店」と同じ通り沿い。

ランチメニュー

「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ ランチは「パスタ」と「ワンプレート」の2種類 「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ パスタには「自家製パン・サラダ・スープ」付き 「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ ワンプレートには「バターライス・スープ・野菜」が付く

ワンプレート(1,200円)

「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ 「ワンプレート(1,200円)」を注文。最初にスープがサーブされます。
とうもろこしに「クローブ・クミン」のハーブを使ったスープです。
「クミン」が入ることでインド感が出ている。コクもあり美味しい。 「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ 今日の「ワンプレート」は「レモンやハーブでマリネした三元豚ロース肉」。
「バターライス・野菜」が付きます。野菜は量も多い。ドレッシングが美味しい。

「クミン」の香りがここでもする。ハーブを上手く利用したイタリアン。
「バターライス」はバターの味は少ないので食べやすい。 「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ 豚肉のソースは「ピクルスを使ったクリームソース」。サッパリしたタルタルのような味付け。
豚肉は長時間低音調理しているとのこと。肉はプリプリで良い食感なのに柔らかい。
肉の量が少なく見えたけど、量も十分ある。この豚肉を沢山食べれるのは嬉しい。

卓上

「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ ナイフ・フォーク・スプーン

店内

「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ カウンター・テーブル席があります。11:30入店で先客1人。後客1人。
早かったからか「接客・料理」共にワンオペで対応されていた。
接客は良く、料理の説明もちゃんとしてくれる。 「TRANSIT(トランジット)」で「ワンプレート(1,200円)」のランチ ランチのドリンクは「1杯100円」でセルフ。

「TRANSIT(トランジット)」店舗情報

おすすめ度 ★★★★★☆
店名 TRANSIT(トランジット)
電話番号 03-3264-5990
交通手段 麹町駅駅 徒歩4分
半蔵門駅 徒歩4分
住所 東京都千代田区平河町1-3-10 ブルービル 1F
営業時間 [月~土]
ランチ  11:30~14:30(L.O14:00)
ディナー 17:30~23:00(L.O22:00)
定休日 日曜日、祝日(貸切営業ご相談ください)
ホームページ ggm3201.gorp.jp
食べログ tabelog.com(口コミ:7件 / 評価:3.09)

半蔵門とは

半蔵門駅(はんぞうもんえき)は、東京都千代田区麹町一丁目にある、東京メトロ半蔵門線の駅。「皇居・国立劇場・最高裁判所」や大使館も多く存在する。 半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説と、山王祭の山車の作り物として作られた象があまりにも大きかったために半分しか入らなかったことに由来するとする説がある。定説は前者であり、服部家の部下がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道沿い一帯が旗本屋敷で固められていたことに由来するという。

麹町とは

麹町駅(こうじまちえき)は、東京都千代田区麹町三丁目にある、東京メトロ有楽町線の駅。駅北端に隣接して日本テレビ放送網麹町分室の社屋があり、本社が汐留の日本テレビタワーに移転するまでは当駅の入口が同社のテレビ番組に映ることが多かった。また、6番出入口のすぐ横はマイスタジオだったため見学客と共に駅を利用する客が出入りする姿も映っていた。かつては駅敷地内にも日本テレビ構内への出入口があり、コンコースの途中に日テレ学院の入口があった。2019年1月、番町スタジオの稼働に伴い麹町分室は閉鎖され、建物が解体されたため入口も無くなり、現在は壁面となっている。名の由来は町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である。