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Sita 半蔵門店

トムヤムラーメン 1,000円

Sita 半蔵門店(シータ)

「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] 「新宿通り」から「貝坂通り」を曲がり少し歩きます。麹町駅から2分程度。隣は「カフェ・テリア

ランチメニュー

「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] インドカレーメニュー。ナンorライスはお替り自由。ランチドリンクが付きます。 「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] タイ料理のメニューもある。カレーの方が当たりなのかな…。

テイクアウトメニュー

「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] テイクアウトも行っています。

トムヤムラーメン(1,000円)

「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] 「トムヤムラーメン(1,000円)」を注文。まずはサラダ。インド料理の定番ドレッシングがかかる。 「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] 「トムヤムラーメン・生春巻き・チャハン」が付く。 「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] 生春巻きは「キャベツ・人参・きゅうり・春雨」かな。皮は厚めなので食べ応えがある。ソースは王道の甘めのスイートチリソース。 「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] チャハン。チャーハンではなく「チャハン」という感じ。 「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] 具は「海老・しめじ・もやし」上に「パクチー・水菜」がのる。
上にのるのが全部パクチーだったら良かったのにな…。半分は水菜だった。
スープは酸味が強い、辛さはほとんどない。コクもあまりないのでさっぱりと食べられる。
フォーもガチっとした固めのフォー。食べ応えがある食感。ツルツルというよしガシガシ食べる。 「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] ドリンクは「アイスチャイ」を選択。シナモンの味は弱いので普通のミルクティーのよう。
「1,000円」でこれだけつけばコスパは良い。お腹いっぱいになります。

卓上

「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] 塩・辛い香辛料

店内

「Sita 半蔵門店」で「トムヤムラーメン(1,000円)」のランチ[麴町] テーブル席のみ。アジアンな内装。年中無休の使いがっての良いお店。接客も良いです。

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「Sita 半蔵門店(シータ)」店舗情報

おすすめ度 ★★★★☆☆
店名 Sita 半蔵門店(シータ)
電話番号 03-3230-0202
交通手段 麹町駅 徒歩2分
半蔵門駅 徒歩3分
住所 東京都千代田区平河町1-3-8-103 平河町プラザ 1F
営業時間 ランチ 11:00~17:00
ディナー 17:00~23:30(LO.23:00)
定休日 年中無休
ホームページ sita-asiandining.com
食べログ tabelog.com(口コミ:15件 / 評価:3.25)

半蔵門とは

半蔵門駅(はんぞうもんえき)は、東京都千代田区麹町一丁目にある、東京メトロ半蔵門線の駅。「皇居・国立劇場・最高裁判所」や大使館も多く存在する。 半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説と、山王祭の山車の作り物として作られた象があまりにも大きかったために半分しか入らなかったことに由来するとする説がある。定説は前者であり、服部家の部下がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道沿い一帯が旗本屋敷で固められていたことに由来するという。

麹町とは

麹町駅(こうじまちえき)は、東京都千代田区麹町三丁目にある、東京メトロ有楽町線の駅。駅北端に隣接して日本テレビ放送網麹町分室の社屋があり、本社が汐留の日本テレビタワーに移転するまでは当駅の入口が同社のテレビ番組に映ることが多かった。また、6番出入口のすぐ横はマイスタジオだったため見学客と共に駅を利用する客が出入りする姿も映っていた。かつては駅敷地内にも日本テレビ構内への出入口があり、コンコースの途中に日テレ学院の入口があった。2019年1月、番町スタジオの稼働に伴い麹町分室は閉鎖され、建物が解体されたため入口も無くなり、現在は壁面となっている。名の由来は町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である。