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食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)

スア・イア 700円

JICA 国際協力機構研究所

「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 市ヶ谷駅からは徒歩10分程度。左内坂を上がっていきます。JICA 国際協力機構研究所の2階にカフェがあります。

食のゾーン J’s Cafe(ジェーズカフェ)

「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 階段で2階にあがると入口があります。JICAの職員だなくても誰でも利用可能です。

メニュー

「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ JICAらしく様々な国の料理が食べれます。メニューは日替わりや週替わりなどがあるみたい。 「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 券売機で購入します。 「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ メニューが展示されいるのでわかりやすい。 「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 店内ではお弁当も販売されていました。 「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 購入いたメニューによって並ぶ場所がわかれています。

スア・イア(700円)

「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 大使館お墨付きメニューの「スア・イア(700円)」を注文。今週はサモア独立国大使館のお墨付きだそうです。サラダも付きます。 「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ 魚はカジキマグロかな?パサパサしないでしっとりしています。お米は長い長粒種。 「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ ココナッツクリームのスープはココナッツがきつすぎないで、コクもありまろやかで美味しい。想像を超えてきました。スープの中の具は玉ねぎとネギぐらいかな。魚を入れて食べました。生臭さもなくスープと会います。初めて食べる料理だけど、何の抵抗もなく美味しく食べました。他の料理も食べてみたい。

卓上

「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ ドレッシングや調味料、お茶・水などはまとまっておいてある。

店内

「食のゾーン J's Cafe(ジェーズカフェ)」で「スア・イア(700円)」のランチ テーブル席とカウンターがある。店内は広いが込み合っていた。

「食のゾーン J’s Cafe(ジェーズカフェ)」店舗情報

おすすめ度 ★★★★★☆
店名 食のゾーン J’s Cafe(ジェーズカフェ)
電話番号 03-3269-2911
交通手段 市ヶ谷駅 徒歩10分
住所 東京都新宿区市谷本村町10-5 JICA市ヶ谷ビル 2F
営業時間 平日10:00~17:00
土曜日10:00~15:00
ランチ11:30~14:00
定休日 日曜日・祝日
ホームページ www.jica.go.jp
食べログ tabelog.com(口コミ:27件 / 評価:3.28)

市ヶ谷とは

市ケ谷駅(いちがや)は東京都千代田区・新宿区にあります。JR東日本「総武線」東京メトロ「有楽町線・南北線」都営地下鉄「新宿線」が通る。 JR市ケ谷駅は外濠を挟んで千代田区五番町にあるため、「市ヶ谷」「市ケ谷」「市谷」の名を冠した建築物は新宿区側・千代田区側(番町・九段地域)双方に存在する(中央大学市ヶ谷キャンパス、法政大学市ケ谷キャンパス、上智大学市谷キャンパス、アルカディア市ヶ谷など)。そのため、千代田区内の駅周辺地域も慣例的に市ヶ谷と呼ばれている。 名の由来には、市ヶ谷孫四郎の領地があったから、とか、四谷第一の谷なので「一ヶ谷」、或いは亀岡八幡宮の門前で市が開かれていた「市買」が訛った、などの説がある。

麹町とは

麹町駅(こうじまちえき)は、東京都千代田区麹町三丁目にある、東京メトロ有楽町線の駅。駅北端に隣接して日本テレビ放送網麹町分室の社屋があり、本社が汐留の日本テレビタワーに移転するまでは当駅の入口が同社のテレビ番組に映ることが多かった。また、6番出入口のすぐ横はマイスタジオだったため見学客と共に駅を利用する客が出入りする姿も映っていた。かつては駅敷地内にも日本テレビ構内への出入口があり、コンコースの途中に日テレ学院の入口があった。2019年1月、番町スタジオの稼働に伴い麹町分室は閉鎖され、建物が解体されたため入口も無くなり、現在は壁面となっている。名の由来は町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である。