市ヶ谷マガジン|飲食店レストランのグルメ情報満載!

TiMi(ティミ)

本日のサンドイッチセット 980円

TiMi(ティミ)

「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 「麹町駅・半蔵門駅」から各徒歩5分程度。「麹町酒場 まんで屋」と同じビルの1階に入る。隣は「壱番館「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 焼き菓子・パン・サンドウィッチなどを販売している洋菓子店。1階で購入してから地下一階のイートインスペースで待ちます。

ランチメニュー

「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] ランチはサンドイッチセット。サンドイッチは3種類から選べる。+150円で「プリン・チョコプリン」が付けられる。テイクアウトのランチボックスもある。

メニュー

「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 「TiMi(ティミ)」のサンドイッチ。

本日のサンドイッチセット(980円)

「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 「本日のサンドイッチセット(980円)」を注文。「コーヒーor紅茶」が選べる。番号札を渡され料理を待つ。 「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 「スープ・サラダ・フライドフライ・サンドイッチ」が付きます。スープは何のポタージュかな?少しぬるいのが残念。 サンドイッチは「ハムとチーズのカカオパンサンド」を選択。サラダがナッツが入っている。
フライドポテトにはケチャップが欲しいかな。 「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] カカオパンはしっかりカカオの味が付いている。けっこうハードめの食感。
チーズはクリームチーズが強い。ハムもジューシーで食べ応えがある。
サンドイッチもボリュームがありフライドフライも付くので十分お腹は満たされる。 「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 「コーヒープリン」を「150円」で追加。合計「1,130円」。
チョコが濃厚。でも洋酒が効いていいるのできつくなく甘くなく食べれる。「150円」なら必須で付けたい。

卓上

「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] フォーク・スプーン・ナプキン

店内

「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 地下一階。テーブル席のみ。洋菓子店のイートインスペースとしたは広さがある。 「TiMi(ティミ)」で「本日のサンドイッチセット(980円)」のランチ[半蔵門] 水・砂糖・ミルクはセルフになっている。

「TiMi(ティミ)」店舗情報

おすすめ度 ★★★★☆☆
店名 TiMi(ティミ)
電話番号 03-6272-4968
交通手段 半蔵門駅 徒歩4分
麹町駅 徒歩5分
住所 東京都千代田区一番町15-20 一番町フェニックスビル 101
営業時間 [月〜金・祝前日] 10:00〜20:00
[土] 10:00〜19:00
定休日 日曜・祝日
ホームページ www.timitag.co
食べログ tabelog.com(口コミ:62件 / 評価:3.43)

半蔵門とは

半蔵門駅(はんぞうもんえき)は、東京都千代田区麹町一丁目にある、東京メトロ半蔵門線の駅。「皇居・国立劇場・最高裁判所」や大使館も多く存在する。 半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説と、山王祭の山車の作り物として作られた象があまりにも大きかったために半分しか入らなかったことに由来するとする説がある。定説は前者であり、服部家の部下がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道沿い一帯が旗本屋敷で固められていたことに由来するという。

麹町とは

麹町駅(こうじまちえき)は、東京都千代田区麹町三丁目にある、東京メトロ有楽町線の駅。駅北端に隣接して日本テレビ放送網麹町分室の社屋があり、本社が汐留の日本テレビタワーに移転するまでは当駅の入口が同社のテレビ番組に映ることが多かった。また、6番出入口のすぐ横はマイスタジオだったため見学客と共に駅を利用する客が出入りする姿も映っていた。かつては駅敷地内にも日本テレビ構内への出入口があり、コンコースの途中に日テレ学院の入口があった。2019年1月、番町スタジオの稼働に伴い麹町分室は閉鎖され、建物が解体されたため入口も無くなり、現在は壁面となっている。名の由来は町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である。